生活残業おじさん
あと数年で定年を迎える同じ部署の方とのやり取りです。
(私)
「仕事を効率化させて月20時間くらいの残業をゼロを目指していきましょう」
(同じ部署の方)
「急に残業無くなったら生活が苦しくなるから嫌だね」
このやり取りの後に私は「会社の体質として終わってるな」と思うのと同時に「稼ぐ力が1つしかない人は生き残っていくのは厳しいな」と改めて強く思いました。
当然その方にも養わなければいけない家族がいるのは分かりますが、「残業」はあくまで就業時間で出来なかった仕事を仕方なくする時間です。
しかし、明らかにしなくても良い残業をしており、その方は完全に生活残業おじさん状態です。
会社依存はNG
今の日本において会社に勤務する以上、仕事をしてもしなくてもよほどのことが無い限り給料は定期的に入ってきますし、おまけに年2回のボーナスの支給があるところも多いため安定は手に入りますが、この安定こそが「会社依存」の考えを増長しています。
安定は国や企業が我々の人生や時間を労働に変えるために与えているものです。
何も行動を起こさなければ会社依存からは抜け出せず65歳、あるいは70歳まで労働をしなければいけないという厳しい時代になっているということを理解しなければいけません。
昭和のように従業員の給料も右肩上がりであれば会社依存という考えがあっても問題ないのでしょうが、そんな時代はとっくの昔に過ぎ去ったのにも関わらず生活残業おじさんのように会社依存をしなければいけない方が多く存在しています。
「r>g」の法則
こんな時はやはりピケティ氏が著した『21世紀の資本』で提唱された、「r>g(あーるだいなりじー」という不等式を思い出します。
ここでいう「r」は資本収益率、「g」は経済成長率を示しており、18世紀まで遡ってデータを分析した結果、「r」の資本収益率が年5%程度なのに対し「g」は1〜2%程度しかなかったことを表す不等式です。
つまり、資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということになりますので「資産を持っている人 はより富を得ることが出来て、労働でしか富を得られない人はいつまでも裕福になれない」ということになります。
稼ぐ手段が会社のみになると「g」に該当する数字はほぼ固定となりますので、人生の選択肢が大きく狭められることになります。
仕事へのモチベーション低下
生活残業を目的とする方が同じ部署にいることで、多くのデメリットを抱えることになりますので気を付けましょう。
・同僚にも生活残業の考えが生まれる
・部署のモチベーションや向上心の低下
・会社への無駄な残業代負担 など
会社で給料をもらっている以上、もちろん会社のためになるように行動をするつもりですが生活残業おじさんへの対応はどうしていくのか。
やはり仕事をする上で一番面倒なのは人間関係ということになるのでしょうか。
私は自分のために残業ゼロを目指し、少しでも稼ぐ力を身に着ける時間に使っていきます。
みなさんの参考になれば幸いです。
〜どうぞ私を反面教師になさって下さい〜
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