命を与えられたということ
親ガチャや上司ガチャという言葉が誕生して数年が経過しました。
もちろん、不遇となっている自身の状況を憂う気持ちは痛いほどよく分かります。
私自身も他人に迷惑をかけてしまうほどの身体へのコンプレックスがあり、思春期以降は長年悩み続けていた過去があります。
おそらく、それが原因で私のことを嫌っていた方も多くいるはずです。
しかし、先天的なものだったり既に起こってしまい自分では変えられないことに対しては悩んでいても仕方ありません。
不条理・不平等こそ人生
残念ながら人生とは不条理で不平等なものです。
どこのコミュニティに属していても周囲の優劣は存在します。
私は「生まれてこなかったら良かった」とか「親のせいで」とか思っていた時期もありましたが、40代も半ばを過ぎるとそういった考えがいかに無駄だったのかが分かります。
自暴自棄になったり、絶望的な状況になることもあるかもしれませんが、後から思えばそれほど大きな問題ではないことがほとんどです。
私たちは幸か不幸か命を与えられました。その命が尽きるまでどのような人生を送りたいのか。
自身で変えられることだけを前向きに考えれば、今よりもちょっとだけ楽しい人生になるはず。
あなたはどのようにお考えですか。
〜どうぞ私を反面教師になさって下さい〜
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