停滞が招いた結果
私と同じ部署に来年定年60歳を迎える方がいます。
現在の部署に配属され25年くらいになるようですが、自身の担当業務以外のことはやってこなかったため、悲しいことに「何も出来ない人」となってしまいました。
部署でトラブルが起こっていても見て見ぬふり、自分から対応しようとしない方なので、結局他の誰かが対応している状況で、トラブルに限らず、新しいことをほとんど覚えて来なかった方ですので、「停滞してしまった」という感じに見て取れます。
ただし、大前提としてその方も悪いですが、「何も出来ない人」と周囲がレッテルを貼ってしまい、何かをやらせようとしてこなかった会社・部署にも当然責任があると思います。
失敗から学ぶ
人生、失敗しないことが良いとはされますが、底辺である私は失敗だらけの人生でした。
しかし、少なからずその失敗から学ぶこともあり、間違いなくその積み重ねがアイデンティティを築き上げているパーツとなっています。
その方を見ていると、失敗するのが怖い・嫌だから担当以外の業務に手をつけていないように見て取れ、加えて今さら定年間際で何かをする気にもなっておらず、気の毒にすら感じます。
会社が存続し続け整理解雇などをしない限り、その方は再雇用し65歳まで働くこととなるでしょうから、「社員」という立場よりは「再雇用契約者」という扱いのほうが本人にとっても会社にとってもむしろ良い事なのかもしれません。
「停滞」した人生は非常に虚しいものですが、昭和的な会社がまだまだ多い日本において会社というレールに乗っていれば一定の給料は貰え、手厚い保証も受けられるという例ではないでしょうか。
この方のような反面教師が身近にいるのはとても人生の勉強にはなりますが、少し悲しい気持ちになってしまいます。
当事者が停滞しても時間だけは過ぎていき、人生の終幕には確実に近づいています。
終幕を迎えるその日まで、トライ・アンド・エラーでこれからも自分らしく生きていきたいものですね。
〜どうぞ私を反面教師になさって下さい〜
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