東日本大震災から12年
2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から12年が経過しました。
震災で亡くなられた方には改めてご冥福をお祈りいたします。
当時の私は現在の工場で打ち合わせをしており今までに感じたことのない強い揺れが発生し、モニター、プリンター、神棚など通常の地震では落下しないものが次々と落下。
従業員は工場内の避難場へ集合し、ラジオで情報をしていた総務の担当者が「大津波警報!?」と当時の私たちが初めて聞く言葉を発していました。
「津波が来るかもしれない」ということで私たちは工場の上の階へ急いで駆け上がり、しばらくすると2mほどの津波が色々なものを飲み込んで内陸へと向かっていきました。
経験したことのない津浪で恐怖を覚え、さらに次に来るという第二波がそれよりも大きいという話が出ていましたので、正直私は人生の終わりを覚悟していました。
数分後には第一波とは比較にならないほど巨大なものを飲み込みうねりながらやってきました。
自然の恐怖を目の当たりにしましたが、最終的には建物の2階が浸る寸前のもので済んだため幸運にも人的被害はありませんでした。
周囲の工場から爆発音が聞こえたり、火災も見えている中でしたが、極寒の深夜はダンボールや緩衝材に包まりながら自社の工場内で睡眠を取りました。
平穏は突然崩壊する
翌日になり前日よりも潮が30cm程度まで引いたことから、従業員はとりあえず解散し膝上くらいまで濡らしながら歩き自宅まで帰宅。
安否が不明だった両親や親戚などと連絡を取れたのは10日以上経過してから、さらに電気の復旧で2週間、水道の復旧までに1週間かかりました。
震災当日は金曜日、今なら笑って離せますが毎週金曜日の夜に買い出しをしていた私は当時冷蔵庫に何も入っておらず【かどやのごま油】をすすりながら1週間を生き延びました。
それ以降は、みなさんご存知の通りテレビやニュースで報道されている通り散々たる状況でした。
東日本大震災は一生忘れられない出来事であり、平穏は突然崩壊することを教えてくれた出来事です。
しかし、慣れとは恐ろしいものであれだけ苦しんだ私たちも何気ない日々を送っています。
国や会社など、自身が所属しているコミュニティがいつどのようなかたちで崩壊するか分かりません。
改めて、東日本大震災は1日1日を少しでも後悔しないように全力で生きていかなければいけないということを思い出させてくれます。
〜どうぞ私を反面教師になさって下さい〜
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