人が人を評価するのは難しい
4年に1度の冬季五輪が開催中です。
採点競技においては既に色々な問題が生じていますが、冬季五輪は距離や時間などの明確な基準が夏季五輪よりも少ないため顕在化しやすい気がします。
人が人を評価・判定するという採点競技の難しさを改めて感じています。
リオ五輪のような【内村航平選手とウクライナのオレグ・ベルニャイエフ選手の関係】のように、日本人が大好きな美談で語られるような競技は非常にレアなケースなのではないでしょうか。
一方で、4年のうちたった1度の大会のためにコンディションをピーク調整する選手たちはただただ人として尊敬します。
私のような一般人以下の人間では理解出来ないような、本人や家族、関係者の努力があってこそあのような場所に立つことが出来るのだと思います。
評価の妥当性
今回は冬季五輪の採点競技が注目を浴びていますが、実社会では我々も常に上司や同僚から評価を受けて生活をしています。
ただし、その評価が妥当かどうかは誰にも分からないという事を忘れてはいけません。
悪い評価をされた人でも、別の視点から評価すれば良い評価に変わるかもしれませんし、その逆もあると思います。
大切なことは他人の評価よりも自分が何をしたいのか、だと私は考えています。
会社で働く以上はこのような考えを持つことは難しいと思いますが、他人の評価を気にしながら生きていても人生楽しいはずがありません。
人間が死ぬ前に後悔することの上位には必ず「他人がどう思うか気にしすぎなければ良かった」と「あんなに仕事ばかりしなければ良かった」という2つがランクインしています。
人生は有限ですので、少しでも後悔しないように生きていきたいですね。
〜どうぞ私を反面教師になさって下さい〜
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